台湾、台南を歩く環境土木学科
ども。
やはり更新があいてしまいました。
更新があいてしまった間にも色々と動きがありましたが、その動きについては別の場で。
実は先日、環境土木学科の学生と台湾へ3泊4日の研修旅行へ行ってきました。
今日はその台湾研修旅行で最も印象に残り、今回の研修旅行でメインでもあった台南の鳥頭山ダムについてお話をします。
台南へ向かう
さて、今回、環境土木学科は台湾の島の南にある台南市へ行きました。そこで戦前、日本が台湾を統治していた頃に建設された鳥頭山ダムを見学するのが一番の目的でした。
さっそく環境土木学科は桃園国際空港へ。
さらに桃園国際空港から移動をし高鐵桃園駅へ。そこで高速鉄道へ乗車をし、台南へ。
さらに高鐵台南駅から台鉄台南駅へ。
高鐵台南駅を出て、台南市で目にしたのが大きく広がる台南の田園風景。
到着してすぐに思ったのが「畑ばかりのド田舎に来たなー」ってでした。その田園風景が広がっているわけは翌日に知りました。
飛行機、高速鉄道、ローカル線電車を利用して約7時間かけてようやく台南へ到着。
八田與一氏の鳥頭山ダムへ
2日目。
台鐵台南駅から隆田駅へ向かうため、またローカル線へ乗車。
ここから約30分、電車に揺られて隆田駅へ到着。
さらにそこからタクシーへ乗車。
タクシーで15分ほど移動をして、ようやく今回の研修旅行でいちばん訪れたかった鳥頭山ダムへ到着!!
鳥頭山ダムに到着
まずはこのダムを設計し、このダムの工事の現場監督でもあった八田技師記念館へ。
さっそく記念館内で八田與一氏、この鳥頭山ダムについての映像を視聴しました。
そこでようやく、、、
このダムの役割、ここにダムがある意義が腑に落ちました。
もちろん、ここに来る前に事前にこの鳥頭山ダム、八田與一氏については調べていました。ですが、現場に来ることで「知る」から「分かる」に。
前日に見た畑ばかりの田舎の景色というのは、この鳥頭山ダムがあるからこそ広がっているのだと。
この鳥頭山ダムは地震に対応するため、自然にも優しくするためロックフィルダムを採用し、1930年に完成。
約1.3億㎥以上もの水を貯留することができ、その貯留した水を広めるため、約1万kmの給水路、約6千kmの排水路を隅々まで設置。設置された水路から台南、嘉南地方に住む住民は多くの農業用の水を得る事ができました。
水を豊富にえた台南、嘉南地方の台地に人々は計画的に作物をつくることができ、農業が発展をし、農業が産業と確立。
そこから台南、嘉南地方は経済が発展をさせ、街を機能をさせることでここに住む人の治安の安定、衛生面の改善をさせたことで生活の向上を果たしたということです。
ダムができる以前はただ天気任せであった農業。地域には井戸がない、あったとしても僅かばかりで飲むには適さない水で疫病、風土病が蔓延していたと。
このような逸話を聞くと、、、
土木の使命、役割が分かりました。
記念館を後にし、いよいよダムへ。
ダムには島が多くあって眺望もいいです。
ここに映っている写真ではホンの一部です。
大きすぎて写真には絶対に納めることができないです。
このダムを眺めていたら、台湾人の方が「日本人ですかー?」と笑顔で声をかけてくれ、少し立ち話をし、写真を撮ってもらいました。
今回、時間の都合もあってこのダムの周囲を回ることはできず、ダムを眺めたのこちらだけでした。
が、、、
八田與一氏の銅像を前にして
この日だけなのかはわかりませんが、今回はこの銅像へ近づくことはできませんでした。ですが、銅像には献花されて今でも八田與一氏は台湾から愛され、感謝をされていることが分かります。
八田與一氏が台湾の生活の向上に全てをささげ、力を尽くし、貢献した姿勢や精神というのは私たちももっと見習うべきです。
「貢献」というのは時代を超えて価値を与え続け、世代も超えて感謝されていくというのをこの銅像から学べます。
それは私たち日本人としてすごく誇らしい気持ちと同時に、今でも台湾の人が八田與一氏に対しての感謝の思いを持っていることに対しての感謝の気持ちが生まれます。
今、そして、これからのグローバル化が進んだ未来と世界を生きるヒントはこの八田與一氏、台湾へ貢献した日本人から学ぶ点は多くあります。